上杉謙信と能登・御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)

越後(新潟県)の龍と呼ばれる上杉謙信は生涯の好敵手甲斐(山梨県)の虎・武田信玄に比べると義にあつい武将として一般的に歴女をはじめとした歴史好きの人気が高い。

林田愼之助著「漢詩のこころ日本名作選」講談社現代新書には歴史上の人物が詠った色々な漢詩がおさめられており、上杉謙信の有名な「九月十三夜」という詩もこの中にある。
f:id:kfujiiasa:20210303152614j:plain

天正5年(1577)謙信は加賀国(石川県)に攻め入り、続いて能登国(石川県)の要衝・七尾城を包囲、内部の裏切りを誘発させ遂にこれを落とし兵馬を休めた。
ちょうど十三夜の名月に当たり陣中で観月宴を催した折りに吟詠された。

霜は軍営に満ち 秋気清し
数行の過雁 月三更
越山併せ得たり 能州の景
遮莫(さもあればあれ) 家郷は遠征を憶うと

「我が越後の山々と今あらたに能登の景色を得ることが出来た」と七尾城を落としたことで能登平定の目処がついたことを歓び詠った。
この後、上杉軍は奥能登一帯の掃討戦に向かう。

NHKBSでは昭和に放送された日本各地を訪ねる番組「新日本紀行」をデジタル再生し「よみがえる新日本紀行」として適宜再放送している。
先日、この中に「波涛の太鼓~奥能登・外浦~」と題した
能登半島・輪島地域に伝わる「御陣乗太鼓」をメインテーマにした番組が放送された。

この太鼓は上杉謙信軍が奥能登に攻め来たときに民衆が顔を面で、海草で髪を隠して扮装し、上杉軍を驚かせて撃退したと伝わるもので結構不気味な感じの神事になっている。
◎写真はTV放送された画面を、とっさに写したもので少し不鮮明です。
f:id:kfujiiasa:20210303152827j:plain
f:id:kfujiiasa:20210303152910j:plain

史実では、七尾城を落とした後は容易に上杉軍は能登を平定しており、また御陣乗(ごじんじょ)は御神事(ごじんじょ)から来ている説がある事などから、上杉軍を撃退したとの言い伝えはどうかとも思われるが、国を攻め取られる側の人々からすると、相手が誰であれ敵として見る気持ちが伝承の中から痛いほどよく分かる。

義に厚く、世評にもてはやされ、優れた詩を詠ったとしても、国を取られる側からすると、ただの侵略者であり敵でしかない。現代の国際社会を理解する上でも参考になる事象といえる。