司馬遼太郎「アメリカ素描」を行く

現在のアメリカ合衆国政治の分断やこれに伴う混乱は、戦後、自由や民主主義が最善と信じてアメリカの背中を追いかけてきた者(国)にとっても、その先行きに一抹の不安を覚えさせるものがある。

このような時期にアメリカをもう一度考えさせられる番組が再放送された。視聴者の要望の多い番組を選んで再放送するNHKBSプレミアム〈司馬遼太郎アメリカ素描」を行く〉である。

この番組自体は2003年に初放送されたものらしいが、司馬さんは1984年から85年にかけてアメリカ各地を訪ねその見聞、思索内容を読売新聞に第1部と第2部に分け1985年に連載した。

また1986年4月には425ページの本として刊行されそれを私も購入、この番組を観た後、書棚から探しだし主要部分を再読した。

ということを時系列で見ると、ほぼ20年毎の節目になっており、司馬さんがアメリカを訪問して活字化され約20年後に映像化、その後更に20年後の再放送を見て本を再読していることになる。

番組では以下の大枠で構成され、ニューヨーク市立大学の日本人教授が司馬さんの足跡をたどっていく。
第1章 ドルと資本主義
第2章 アメリカ文明
第3章 法が主人の国
第4章 日米交渉史
第5章 文明と文化
エピローグ

各章の表題でも分かるように、40年を経た今でもその内容が通用する、アメリカを知るためのテーマである。

番組内のナレーションは懐かしい俳優の浜畑賢吉さんが担当で、当然ながらその主要な言葉は刊行された活字の中から選ばれている。

これらのエッセンスを短い文章にまとめることは内容が有りすぎて出来そうにないが、代わりに記憶に残る司馬さんの2つの言葉を書き留めておきたい。
これ等の言葉は現在でも充分新しさを保っている。

アメリカ人がよく自国のことを、「ザ・ステイツ(the States)」と呼んでいることに関心があった。合衆国という簡略語である、といってしまえばそれでしまいだが、私の感覚には語感として「アタシの人工的な国家は」といっているように、ついひびいてしまう。法でつくられたる国というひびきである。

②文明は「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的でない。
普遍性があってイカすものをうみだすのが文明であるとすれば、いまの地球上にはアメリカ以外にそういうモノやコト、もしくは思想を生みつづける地域はなさそうである。

コメダ珈琲店への道端、野草の花
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