私の住む八尾市は旧河内国で、生駒~信貴山と連なる山々を越えると奈良大和盆地であり、古くから拓けた土地である。
今日の朝の「歩き」はぎっくり腰の様子を見つつ、家から1.5km位の普段は通りすぎるだけの「弓削(ゆげ)神社」を往復してきた。
この辺りの地名は「弓削(ゆげ)」で、古来この地発祥の「弓削氏」は読み通り武器である弓の製作に従事した人々と考えられている。
正面入り口から
弓削姓では孝謙上皇(称德天皇)の代に法王の位を授けられた僧侶・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)がこの地の生まれと伝わる。
道鏡は天皇位を狙ったと悪名が世間に広まっている。
今回初めて神社を訪れその由来を読むと、弓削氏は物部氏から出ていると書かれておりこの新たな知識で今までの知識と繋がった気がして嬉しい。
石碑に書かれた由来
物部氏は天皇家と同じ天孫降臨伝説のある一族で神武天皇に帰順後、連(むらじ)大連(おおむらじ)の称号を得て栄え主に朝廷の軍事を司どり、河内地域に強い地盤を築いた。
然し用明天皇の崩御直後に仏教排斥派として時の当主・物部守屋(もののべのもりや)は一族を率いて崇仏派の蘇我氏や厩戸皇子(聖徳太子)と現在の八尾市周辺で戦い敗死(丁未の乱)した。
(物部守屋の墓は近くに有るのが分かっているのだが今まで寄る機会がなくこれをきっかけに行ってみます。)
河内一帯の物部氏の民は、聖徳太子が建立した四天王寺や蘇我氏の奴婢(ぬひ・奴隷)などにされたと記録にある。
石碑の由来を読み、ここ迄書いて気が付いたのだが、私の知る範囲、この神社の数km以内に、矢作神社(やはぎ、やつくり)や鞍作町(くらつくり)という地名がある。
私見だが何れも武具に関するもので、軍事の物部氏にゆかりがある可能性が高いのではないかと思うのだが、どうだろうか?
たまたま歩きのコースを変えたことで良い勉強になった。
弓削神社への道筋の花壇