「漢詩の扉」捲土重来(けんどちょうらい)

漢詩について、漢字だけが羅列された原詩を充分理解できるほどの素養は持ち合わせていないが、日本語に落とし込んだ読み下し文でなら、中国古代の人から日本人の作ったものまで作者の心の内を垣間見得る。

漢字文化は東アジアに広く分布するが、言葉は分からなくても紙に漢字を書けばかなりの意志疎通を図ることが出来る。
私が現役時代に上海へ赴任した際も初めは全く言葉が出来ず、専任通訳に付いてもらっているものの現場で急ぐ場合など、結構紙に漢字を書くことで応急の意志疎通がなんとか出来た。

斎藤希史著「漢詩の扉」角川選書版 は中国唐時代の有名な詩人の作品を挙げて「扉を開けてかれらをたずねる」と表現している。
また著者ははしがきのなかで「詩は、ただ一つのものとして書かれるのではない。すでに存在している多くの詩と交わろうとして書かれる」と表現されている。

九人の詩人と作品が解説されるが私がもっとも好きな詩は杜牧の「烏江亭(うこうてい)に題す」

勝敗は兵家も事を期せず 
羞(はじ)を包み恥を忍ぶは是れ男児
江東の子弟才俊多し 
土を捲(ま)き重ねて来ること
未だ知るべからず。

2月23日のこの日記「覇王別姫」にも書いたが秦始皇帝の死後、漢の劉邦と楚の項羽が覇権を争い、敗れた項羽は故郷を目指して逃亡するが、楚を目前にした長江の渡し「烏江亭」で、「八千人の故郷の子弟を率いて楚を出たのに今一人も連れて帰れない、父兄は何も言わなくても自ら心に羞じる」と言って自決する。

この事があってから約千年後、杜牧は烏江亭に至って上掲の詩を読んで、羞や恥を忍んでなぜ再起を期さなかったのかと項羽の心情と死を惜しむ。

「土を捲きてくる」という英雄・項羽の馬上の姿が見えるような一節である。
この詩から四字熟語「捲土重来」が生まれた。

近くの道端に咲くしだれ先の花
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