大河ドラマ「麒麟がくる」雑感

NHK大河ドラマ麒麟がくる」がスタートしてもうすぐ2ヶ月だが6月はコロナウイルス等から来る製作の関係で一旦休みになることが「お知らせ」、に出ている。
ドラマは主人公明智光秀が主の斎藤道三の死に伴い、美濃を逃れ越前の朝倉義景を頼るところ迄来ている。

このドラマの斎藤道三明智光秀織田信長帰蝶(濃姫)の関係性を見ると司馬遼太郎さんの「国盗り物語」を彷彿とさせるような描き方が散見される。

然し「国盗り物語」では当時の通説に従い斎藤道三は一代で油売りからのしあがった下克上の代表選手になって明るく描かれたが、「麒麟」では最新の歴史研究成果から親子二代に渡る下克上の積み重ねと表現された違いがある。

広く知られる道三の異名マムシも別に当時の記録に有るわけでなくどうやら坂口安吾の小説「信長」が創作、初見らしい。

今回の大河ドラマの題名「麒麟がくる」の麒麟は為政者や王が仁徳のある政治を行うときに現れる霊獣との想定で、出演者が仕切りに平和を願うくだりで口にする。
まあ小説だと割りきってしまえば良いのだがどうもこの正義の味方風の切り口には余りに時代錯誤のような気がしてガックリ来る。

歴史ドラマや小説は、ほとんどの場合平和や正義を追求する呪縛から逃れられないようだが、小説と歴史的事実とは時として大きく違う。この事を知らない子供たちに、ドラマや小説が誤った記憶や知識を植え付けかねないのを危惧している。

私もご多分に漏れず歴史は歴史物語や小説から入った口だが、歴史上の人物があるときは正義の味方、あるときは悪人に描かれているのを繰り返し体験することで、小説から抜け出し、物事には多方面の見方が有り、それを判断するのは事実の裏付けと自分自身であることを学んだ気がしている。

亀親子が朝の散策?最近外来種らしきも含め亀が増えてきた。
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