4月30日記事の続き。
子供の頃の記憶に残る郷里厚狭天神祭りの大行司小行司行列について、日本最古の天神様、防府天満宮に問い合わせして解ったことは以下の通り。
1、もともと天神祭り(御神幸祭)は、天皇の御使い、勅使を防府天満宮に迎え菅原道真の無実を告げて魂を鎮める祭祀(勅使降祭)として実行していたが、時代と共に勅使の代わりに時の国司(律令制での国の長官、周防国司)が勤めるようになり、更に律令制が崩れる中で道真公を防府で国司と共に迎えた在地官僚、藤井氏、清水氏の子孫をそれぞれ大行司、小行司(こぎょうじ)にして祭祀を司どった、この慣習は現在も続いている。
2、行司とは行事(祭祀)を司る人の意で、大行司は総責任者、小行司は行列責任者で先駈けになり、行列は元々祭祀諸役で組まれていたが庶民の要望で形も変わり裸坊等の供奉も始まった。
3、近在各地天満宮のお祭りはこの防府天満宮の、大行司小行司行列を例にして独自の形を創っていったものと考えられる。
以上の事から厚狭も、この大行司小行司行列を取り入れその過程で、小行司(こぎょうじ)が(しょうぎょうじ)と呼び方が代わり子供行列に、また行列の形態を身近に見ることの出来た厚狭毛利家の供揃え風になって行ったのではないかと考えられる。
現在も厚狭ではこの行事を「古式行事」と名付け保存会を結成して継続されているとの事である。
何故菅原道真は防府に立ち寄ったのかも疑問だったが、調べる過程で、当時の周防国司は菅原道真と同族の土師(はぜ)氏から出ており傷心の旅の途中に、身内を訪ねて立ち寄ったことも解った。
子供の頃からの永年の疑問が解けることはとても嬉しい。