この秋、役所広司さん主演で作家司馬遼太郎原作の、映画「峠」が公開される事がTVで時折ながれている。
監督は小泉堯史さんとのことで、寺尾聰さん主演の作品が多いと思うが、少なくとも「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」の3作は私も観ており、黒澤明監督の弟子らしく、とても丁寧な作りでゆったり見ることが出来る印象で、「峠」も公開されたら観に行くつもりになっている。
この司馬遼太郎さんが書いた「峠」は凡そ半世紀前に出版され、当時はあまり有名でなかった主人公の越後長岡藩士・河井継之助を一躍全国区にしてしまい、私も新刊本を買って読んだ。
幕末、越後長岡藩・譜代大名牧野家の中級家臣河井家に生まれた継之助は、挫折を繰り返しながらも筆頭家老迄累進、若き日には備中松山藩・山田方谷の教えを受け、藩の財政改革を成功させ、その原資をもとに軍制の近代化を進め戊辰戦争時に武装中立路線を選択する。
然しこの中立路線は新政府軍の認めることにならず、遂に薩摩長州中心の新政府軍と衝突、約4ヶ月の善戦も空しく継之助は戦死、長岡藩は降伏する。
今、安藤優一郎著日本経済新聞出版社刊「河井継之助 近代日本を先取りした改革者」を読み終えたところだが、
光の部分、殖産興業、財政改革や軍の近代化への功績と合わせ、影の部分にも目を向け、長岡城下を焼け野が原にした新政府軍との戦闘が、継之助の自己過信から生じたものでなかったかと示されている。
河井家歴代の墓が戦禍に遭った城下の人々に依って足蹴にされ転がされ、今も摩滅状態であること、継之助の妻は怨嗟の声が城下に満ちて所用で町に出ることも叶わなかったこと等、表に英雄と呼ばれる人の裏面として衝撃的な事実である。
色々な評価が有るにせよ、越後人河井継之助の名前は、戊辰戦争の敗者の側にも傑出した人物が間違いなく居たことを示している。
今朝のウオーキング途中、桜のそばで咲いていた花、名前?