「大悪人の孫と呼ばれて」/今朝の鴨親子

先日この日記に書いた加藤登紀子さんの「サハリンへの旅」に続いてNHKTV「目撃にっぽん」で面白くて色々考えさせられる番組に出会った。「大悪人の孫と呼ばれて~張作霖爆殺事件 92年目の思索」である。

私は一時期、日清・日露戦争、朝鮮併合、満州事変、日中戦争と続く日本と東アジア関係近代史にとても興味があり、何故日本は無謀で無理な事をしてきたのか考えされられ、色々な文献を読み漁った時期がある。

これ等明治、大正、昭和と続く時代のなかで特筆される事件が度々おきているが、日本側で満州某重大事件と呼ばれた当時満州の支配者であった軍閥張作霖」爆殺事件もその一つである。

中国は辛亥革命で「清」が滅亡した後も混沌状態で、軍閥と呼ばれた地方政権や各国の利権争いが続いていた。

当初日本も満州に地盤を持つ張作霖と結んで権益拡大を目論むが、中国国民党や他の軍閥との紆余曲折があり、遂に日本の関東軍高級参謀(関東軍No3)河本大作大佐が中心になり張作霖が北京から満州へ帰る列車を爆破殺害する。

この責任を陸軍は誰も取ることがなく、後日昭和天皇はこの時の処分が厳重になされなかったことを非常に悔いたとされ、これ以後軍の独走を助長してしまい、敗戦後の東京裁判などを通じて大佐は大悪人とされる見方が出来上がる。

82歳の女性はこの河本大佐の孫に当たり父を早く失くし父親代わりの祖父であったが、事件から80年目の節目に開かれたシンポジウムに親族代表で招かれた事や、大佐の3女であった叔母から大佐の関係資料を託されたことをきっかけに大佐や事件の事を自らの手で調べ「張作霖を爆殺した男の真実」との表題で自費出版した。

その中で、この事件は〈満州在留邦人30万人の生命財産を守るために緊急避難的に実行されたもので独断ではなく陸軍の総意として実行された。〉と結論付けている。

これに対して親戚や歴史家等からも異論が寄せられ、更に戦後、河本大作は中国共産党に拘束され、その供述書で「他のやり方があったかもしれない」と語っていることがわかったが、それらを踏まえこの女性は「河本の考えは今考えると間違っていた、相手の立場を正しく考え認識することが大事」と締め括り更に歴史を勉強しようと努めている。

事の善悪や是非には色々あると思われるが真摯に歴史を学ぶ姿勢には共感する。私にとって考えさせられる良い番組だった。

🔘今朝は何時もより1時間早く起きて歩いた処、あのヒナ6羽の鴨親子に再会した、食欲旺盛で、元気に溢れている。
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