薩摩守(さつまのかみ)・忠度(ただのり)(タダ乗り)

桜の季節になると色々な桜にまつわる話が思い出され、その中に記憶に刻み込まれた薩摩守平忠度のことがある。
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ソメイヨシノに代わり近所では八重桜が咲き始めた。

現在はよく判らないが、以前、電車などの無賃乗車のことを薩摩守といい、一部マスコミでも使われていたような気がする。
これは薩摩守の受領名を持つ平家一門で清盛の異父弟、平忠度(ただのり→タダ乗り)に由来する隠語である。

母親が口ずさんでいた唱歌に「青葉の笛」と言う源平の一ノ谷合戦の故事にちなんだ古い歌があり一番は平敦盛を、二番がこの平忠度を歌っている。その二番の歌詞は

「♪♪更くる夜半に門をたたき我が師に託せし言の葉あわれ~♪♪今わの際に持ちし箙(えびら)に残せしは花や今宵の歌」

前の節は、平家が源氏に攻められ都落ちする際、忠度が和歌の師である藤原俊成に自分の詠んだ歌を託して後に和歌集編纂の機会あればと言って去った事を表したもので、俊成は後に千載和歌集に忠度の歌のなかから選んだうえで、源氏を憚り「詠み人知らず」として入れた。

「さざなみや志賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな」

後の節は、忠度が一ノ谷で敗れて落ちる途中、源氏の武者に討たれた際、持っていた箙(矢を入れて肩に掛けるもの)に結ばれていた和歌の故事である。

「行き暮れて木の下かげを宿とせば花や今宵のあるじならまし」


忠度は文武両道であったと伝わるが、詠まれた桜の花が平家物語の中で、はかなさを際立たせている。