覇王別姫(はおうべっき)

今、中国の漢文を集めた渡辺精一著「朗読してみたい中国古典の名文」祥伝社刊を読んでいるのだがこの中に中国駐在時に北京で観た伝統芸能・京劇「覇王別姫」の名場面の懐かしい詩が出てきた。

四字熟語「四面楚歌」は秦始皇帝死後に覇権を争った漢の劉邦と楚(そ)の項羽が遂に最後の決着の地、「垓下」(がいか)で漢が楚の項羽を包囲した際、項羽の故郷楚が既に漢に降伏したと思わせるため包囲の兵に楚の歌を歌わせた事に由来する。

故郷の歌を四面の敵が歌うのを聞いて、最後の時が迫っていることを知った覇王項羽と、彼に常に同行した今も虞美人草に名前が残る、愛姫の虞(ぐ)美人との別れの時を舞台化したものが「覇王別姫」で、京劇では孫悟空の「西遊記」と並んで最もポピュラーな演目である。

この時項羽が詠んだとされるのが「史記」に書かれている詩で劇中、天下に号令した英雄の嘆きが切々と吟われる。

「力は山を抜き気は世を蓋う、時に利あらずして騅(すい:名馬の名前)逝かず、騅の逝かざるを如何にかすべき、虞や虞や汝を如何にせん」-----力は山を動かし、気力は天下を蓋い尽くすほどの私だが今や騅も走らない、どうしたらいいのか、虞よ虞よお前をどうしたらいいのだろうか。

史実は別のようだが、劇中では最後に虞美人は足手まといを恐れ剣で自ら命を断つ。

その後項羽は垓下から一時脱出するも遂に追い詰められ自刃、劉邦は楚・漢戦争を勝ち抜き紀元前206年中国統一王朝・漢を建国する。
漢字、漢民族など全てこの漢に由来する。