飲み助と日本酒の注ぎ方

私はビールで言うと中ジョッキで満足する程度で日本酒はあまり飲まないが、以前友人と行った居酒屋で冷酒を頼んだところ、枡のなかにグラスが入りそれに酒が注がれ溢れた分が枡に残っている。この状態では先ずグラスの酒を猫の様に口をつけて飲み、それからグラスを手に持って飲み、最後に枡に残った酒を飲み干すのだろう。この時グラスの外側は酒で濡れておりあまり気色の良いものではない。

のっけからこれを書いたのは今日コメダ珈琲店で読んだ週刊新潮のコラム「医の中の蛙」で大学入試や医療費負担を絡めて公平とは何かを説いている中でのクイズで、
Q:2つの異なった形のコップと少しばかりの酒がある中で、2人の飲み助で公平に分けるにはどうしたら良いか?
A:一人が慎重の上にも慎重に酒を分けて入れ、もう一人が好きな方を取る。
と言うことで、量が同じと言う保証はないが公平と言うことはお互いの納得なのである、と結論を付けている。

この質問に、ケーキでなく酒が出て来て、慎重の上にも慎重にと言うのが面白いが、これは明らかに飲み助の習性を解っているのだろう、ひょっとして筆者自身も飲み助かもしれない。

時折録画して見るBS番組「吉田類の酒場放浪記」でも吉田さんが冷やで日本酒をオーダーすると殆んどの場合グラスや容器に溢れんばかりに酒が注がれ、先ず吉田さんは猫の様に口を付ける事からスタートする。

私のように酒をあまり飲まないものからするとグラスを大きくして小さいグラスの時と同じ量の酒をその中に入れたら良いと思うのだが、決められた量をなみなみと注ぎ、少しでも多くかつ公平に飲み干したいというのが世の中の酒好き・飲み助の望みなのだろう。この時既に飲み易さなどは完全に二の次だ!!

どうもこの気持ちは洋の東西を問わないらしく、以前観た西部劇でガンマンが久しぶりの酒場でウイスキーをオーダーしたところ、注がれた量がグラスいっぱいに僅かに足らず、バーテンダーに手まねで追加をさせるシーンがあった。

好きが高じたその気持ち、解らなくもない。