「よくつながった」の安堵感

申し訳ないが昨日阪神淡路大震災から25年の節目の日とは全く忘れてしまっていた。もう四半世紀かと時の速さに驚く。

朝日新聞の読者投書「声」欄がその特集になっており、京都の会社員男性が当日マレーシアに出張していた時にホテルで第一報を聞き京都の自宅に電話が繋がった時の事を表題の内容で書かれていた。
この内容を見て私の25年前の当日がまざまざとよみがえって来た。

当時タイに単身赴任中で、バンコク市内の住居から車で一時間かけて工場に出勤すると何かいつもと違う感じがして、現地社員から日本で大きな地震が起きていると告げられた、
直ぐにテレビのある事務所に向かい他の日本人と共に視ているとあの、神戸周辺での高速道路の倒壊した状態や各所に煙が上がる姿が映し出された。

直ぐ国際電話で大阪の自宅にかけ始めたが繋がらない。記憶はとんでしまっているが何度も何度もトライしたように思う。

あとで聞くとこの長い時間電話回線がパンクしていたようだ。
現在のようにインターネットがなく唯電話が頼りの時代、
ようやく繋がり家内から「皆無事でいる」との声を聞いたときの気持ちは全くこの投書の方と同じだろう。

この後単身赴任をもう一度中国で経験する事になり、当時はやむを得ない事だと思っていたが、今振り返って考えるとこの地震の時のように家族の緊急時に立ち会えないことなど負の側面も多く、欧米人が原則単身赴任をしない事がよく理解出来る。