周南市「漢陽寺」名前の由来

山口県周南市に漢陽寺という禅の大寺があり同窓生が檀家とのことで以前に頼まれて少し調べたところ臨済宗南禅寺派の寺院で、元々応安7年(1374)周防大内氏の祈願所として建立され、その開基には大内氏の中興の祖とも言うべき大内盛見が関わっていることが分かりビックリしたが、その後この寺の「漢陽」と言う名前に興味があり更に調べて見ようとずっと思っていた。

と言うのも漢陽と言う名は普通の日本の寺号ではなかなか聞いたことがなく、大陸的な響きがあり、
李氏朝鮮の都(現在のソウル)を漢陽と呼んでいたこと。
②中国湖北省長江(揚子江中流域ほとりにある武漢三鎮(ぶかんさんちん)と呼ばれる三都市の一つが漢陽であること。
大内氏は大陸との交易で莫大な富を築いておりまた自らの出自を朝鮮半島百済の王族と主張していること。(最近の研究では疑問視されているのだが)
などから大陸に寺の源流があるのではないかと考えて調べていたのだがこの推理が②でピタリ的中した。

その由来は、
寺の開山僧となった用堂明機は、若き日に一念発起し中国に渡り十数年の修行を終えて帰国した後大内盛見の招きでこの地に住み、この寺の地が自身が見た中国の漢陽の地勢によく似ているところから寺号を漢陽寺と名付けた。
大内氏も大陸との関わりからして喜んで了としたに違いない。

実は私自身も漢陽に縁があり、上海に駐在していた折に新しい部品工場を確認する目的で武漢三鎮を訪れた事がある。  とても大きな都市で人の活力が溢れておりまた、長江のほとりの眺めは墨絵のような素晴らしいものだった。多分、用堂明機もあの長江を眺めたに違いない。