適塾③なんと 、適塾塾生にふるさと出身者がいた。

幕末、緒方洪庵が大阪で開いた適塾の塾生名簿全636名の内、山口県出身者が56名を占めていることは10月17日のこの日記に書いたがその後、この名簿を手掛かりに厚狭の郷土史資料を当たっていくなかで2名の兄弟で、我がふるさと山口県厚狭の出身者が居られることがわかってきた。

厚狭毛利家家臣で医者の家系に当たる兄・桑原玄阜(268)、弟・桑原英甫(439)の両名である。[(No)は緒方洪庵曾孫の医学者緒方富雄氏編著 適塾姓名録と照合した記録の順番]

試みに手元にある山陽町史・資料篇・中巻に所載の厚狭毛利家分限帳(家臣の身分、石高等を記録したもの)を見ると確かに嘉永元年、安政2年、明治3年(給禄帳)にそれぞれ醫師として桑原家の記録があり時代によって兄弟の名前も見つかった。

緒方洪庵が取り組んだ大阪での偉業に小さな我が町・厚狭が関係し、先達が参画されていること、蘭学、洋学を志向する風土が有ったこと、それが今わかったこと等、これほど嬉しい事はない。歴史を追跡していると時として突然このような出会いに遭遇するが、例えて言えばゴルフの優勝より何倍も嬉しい。

なかなか地方にまたがることは資料が少ないが、取り敢えず今はここまでとして、適塾を管理する大阪大学も含めて何か手掛かりはないか、桑原兄弟について続けて調べて見るつもりです。