呉越同舟と大阪池田の酒「呉春」

時折昼御飯に行く居酒屋に大阪の酒として「呉春」の名札が掛かっている。

遥か昔、古代中国の春秋時代は今から2000年以上前の紀元前、長江(揚子江)の南には現在の江蘇省一帯の呉国と浙江省一帯の越国が抗争し「呉越同舟」の故事に残る。

大阪池田市に呉服(くれは)神社があるが昔、呉から4人の織女が来て絹織物を織った伝承がありこの地を地盤とする坂上氏がここに織女を祭りそのお陰で池田が日本の絹織物発祥の地のようになり呉服(くれは)の里と呼ばれた。

江戸後期 尾張の画家松村月渓は池田に長く留まり、この地、呉服(くれは)にちなんで姓を呉、名を春、「呉春」と中国風に改めた。

日本酒「呉春」はこの画家と地名の両方から来ているようだ。

遥か昔のことで真実は分かり難いが名前がたどってきた時間や酒の一滴には東アジアの歴史が詰まっている。

呉の都は姑蘇(こそ)と呼ばれ現在の蘇州にあり私も何度か訪れたが、李香蘭(山口淑子)さんが唄った「蘇州夜曲」のとおり美しい水の都で、姑蘇時代の遺跡、名園、寒山寺等見処も多く、現在は大阪池田市と前記の縁で姉妹都市になっているらしい。

ちなみに呉越の戦いは互いに勝ち負けがありその結果「臥薪嘗胆」の故事をも生むが最終局面で「天、勾践(こうせん)を空しゅうするなかれ時に范蠡(はんれい)なきにしもあらず」で知られる名臣「范蠡」に補佐された越王・勾践が王・夫差(ふさ)の呉を滅ぼす。