厚狭の、狼煙(のろし)山

ふるさと厚狭を象徴する山として松嶽山、物見山をこの日記に書いてきたがこの他に狼煙(のろし)を送るための役目を果たしていた忘れてならない山が2ヶ所、山野井の日峰山(ひのみねさん)と津布田の火の山である。

古代朝鮮半島は長く新羅、高句羅、百済の3国時代が続いたが、西暦660年百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされた。百済と密接な関係にあった大和朝廷百済の残留部隊の後押しをすべく663年3万人以上の大部隊を半島に派遣したが白村江の海戦で全滅した。この為大陸からの反転攻勢にさらされる危機感から大和朝廷は各地に山城を築くと共に、対馬大宰府、大和へと続く高速連絡のための、のろし台を各地に設置した。

この時、厚狭津布田の火の山にものろし台がおかれ、下関火の山からの、のろしを受け小野田竜王山へ海岸沿いにつないだとされる。

また毛利藩政時代、藩主の参勤、公儀巡見使、朝鮮通信使等の発着や異国船渡来の通報用として藩内にのろし網が築かれこの時は、厚狭山野井の日峰山が使われたとされる。

余談だが中国山東省に煙台という地名があり、私が中国に駐在していたとき中国人にこの字からすると昔はのろし台があったのではないかと尋ねたところ倭冦(日本の海賊)が来るのを報せるのろし台だと言われ、「それは申し訳ない」と言いつつ赤面したことがある。

漢字の便利なところは名は体を表し山名、地名等、名前を見るとおよその事がわかるところにある。