熊谷氏の変遷③直実の再来、信直の時代

私の生まれた村を藩政期に治めていた熊谷氏の記録3回目(7月10日からの続き)

毛利家に臣従した熊谷当主信直は元就、隆元に従い西国の実力者大内氏、陶氏や山陰の雄 尼子氏の討滅と続いた中国一円統一に尽力した。今も残る毛利氏八箇国時代分限帳にはこの時の所領が国人のなかで最大16000石であった事が記されており信直の時代が熊谷氏の絶頂期と言える。

この間毛利家中での熊谷氏の位置付けの重さを表すものとして以下の文書が残される。

1、大内氏領内に侵攻占領時、軍勢の狼藉を禁じた傘連判状に毛利元就、隆元、小早川隆景吉川元春等12名連暑中に信直署名、弘治3年(1557)12月2日

2、毛利氏が中国統一をほぼ成し遂げた後、安芸一の宮厳島神社に大鳥居を建立した折り諸物資諸経費を分担する国人として信直の名がある、永禄4年(1561)11月28日

信直は源頼朝から「武士中の武士」と呼ばれた家祖 熊谷直実の再来とも言われ兵庫頭、伊豆守に任じられていたが文禄2年(1593)87歳の高齢で死去。嫡子が既に死亡の為嫡孫元直が家督を相続した。

熊谷氏はこの元直時代に存亡の危機に直面することになる。