「寄りそう」だけで解決するのか

私の尊敬するイタリア在住の作家塩野七生さんが月刊「文藝春秋」のコラムで表題のようなエッセイを書いている。

最近の地中海周辺が難民や政治の混乱のせいで旅行も出来ない危険な場所になっていることをふまえ日本がこれから直面する外国人問題に対して以下3点で楽観を戒めている。

1、生まれたときからの人種差別主義者はごくわずかで多くは後になって人種差別主義者になる。

2、外国人との共生は人道上の想いだけでは絶対にうまくいかない。

3、ならば経済上の理由で押し通せばとなりそうだがそれでいくと日本は世界中から非難される危険がある。

・私の住んでいる都市近郊の市は現在約3%が外国人で大半がアジア系だが特にベトナム戦争後の難民を受け入れた経過から次第にベトナム人の方が多く住まれる様になり、廻りでもベトナム語が日常的に聞かれるようになってきた。

・仕事でかなりの期間アジア各国に行ったり駐在し、また欧米人とも折衝したが言葉の問題以上に生活習慣や特に考え方の違いに違和感を覚えることを肌で感じた。

・最近古い家屋を解体依頼し立ち会ったが実際の作業要員はほとんど外国人と思える人たちで一般に若者が嫌がる3K作業でも厭わず真剣に作業されている。

*塩野さんの指摘は現実的で私の経験に照らしても肯定的に受け取らざるを得ないが、日本の現実を考えると外国人材の受け入れは今や不可避であり、発生するであろうトラブルをを予測して官民挙げて解決していくしか他に道はなく、甘い楽観ではなく覚悟を持って目の前の現実に対応せざるを得ないと思う。