熊谷氏の変遷 ①武蔵から安芸の国へ

私の生まれた村を、藩政期に萩毛利家の家臣で熊谷直実の末裔である熊谷氏が給領地にしていた事は前にも触れたが元々武蔵の国(埼玉県熊谷市)出身であった熊谷氏が私のふるさとに至るまでには歴史の紆余曲折がありこれを何回かに分けて記録しておきたい。

源平合戦の功績で直実が手にした熊谷郷は直実の出家後も一部が子孫に受け継がれ      鎌倉時代の初期、後鳥羽上皇と幕府との戦い「承久の乱」に遭遇、一族が上皇方、幕府方に別れて争うことになったが直実の息子の一人直国が幕府方で近江国(滋賀県)瀬田で壮烈な戦死を遂げる。戦後 勝利した幕府はこの直国の戦功に報いて熊谷本領の安堵と共に新規に安芸国三入荘(広島県広島市)を直国の息子に与えた。

熊谷直国は命を懸けて一族の将来を手にした事になる。

承久の乱は日本史上初めて東国が西すなわち京の朝廷権力を打ち砕いた戦いだがこれをきっかけに東国武士の西への移動が更に進む。

鎌倉末期から南北朝時代にかけて全国規模で続く戦乱のなかで名のある武士達は各地の入り組んだ所領のなかから一ヶ所を選んでそこに運命を懸けるが熊谷氏も三入荘へ一族挙げて移住し一所懸命を実践することになる。

これによって安芸吉田(広島県安芸高田市)を領有していた毛利氏わけても元就との接点が生じた事になる。……