無煙炭と「坂の上の雲」

私が子供の頃郷里の中央を流れていた山口県の厚狭川は時折真っ黒な流れになる事があり確か、大人達はすみ(炭)が流れていると言っていた様に思う。今でも公害のような話題が出ると泳ぐことも出来ない黒い水を思い出す。

これが上流の美祢地方にある炭鉱のせいだとは後年になって知ったことである。

また、美祢地区のうち特に大嶺は無煙炭の産地で煙がでない石炭として戦後練炭や豆炭等の家庭用にも盛んに使われ、家の近くを通る美祢線の貨物列車はセメント用の石灰石

か石炭かどちらかを満載しているのが定番だった。

石炭のなかで最上級のものが無煙炭で、動植物が炭化する過程で泥炭~褐炭~瀝青炭~無煙炭の順に変わるらしく無煙炭は億年単位の歴史から生まれたものである。

実はこの無煙炭のことを知ったのは子供の頃の黒い川の記憶と併せ司馬遼太郎さんが日露戦を描いた「坂の上の雲」の影響が大きい。

この中の日本海海戦に関する描写のなかで何度も無煙炭の事が出てくる。

ロシアバルチック艦隊を迎え撃った当時、ロシア艦隊は有煙炭を使用、この煙によって遠くから日本側に艦隊運動が分かるのに対し主として英国産の無煙炭を使った連合艦隊は火力=推進力にも優れ非視認性にも優っていたとされる。

実は主として英国産と言ったのはこの無煙炭を調べる過程で、当時の日本海軍が日露戦の直前にこの大嶺炭田に臨時採炭部を設置していることを知ったからである。

司馬遼太郎さんは日本海海戦時の海軍艦艇用石炭は全て英国炭のように記述されているが、私としてはその内の一部に郷里に縁のある無煙炭が使われ勝利に幾ばくかの貢献を果たしたと勝手に思っている。

 今石炭は環境問題の敵役となっているが 自給燃料として日本の発展に大きく貢献してきたことは間違いない。