百舌鳥・古市古墳群と難波大阪

大阪府堺市羽曳野市藤井寺市にまたがる仁徳天皇陵などの古墳群が世界遺産に登録の見込みとのことである。

大阪に住んでいると東に奈良飛鳥と隔てる信貴生駒山系ー二上山葛城山金剛山系が連なり西側は海が拡がる地形を、日の出・日の入りや川の流れで日々実感する。

海から来た人や物は一度大阪平野に入りそれから竹ノ内峠等の山越えルートを通じ奈良飛鳥に至る。

これは現代でも同じで主要な道路が古い街道筋に並行して走っている。

地理的に見ると難波大阪は奈良飛鳥の外港であったことは明らかである。

中国に於ける北京と天津の関係と全く同じと言って良いのではないだろうか。

天津は漢字の通り天子の港=皇帝の港という意味だが、これに倣うと難波大阪が天皇または大王の港という事になる。

従って大阪に住んで地理や歴史を考えて見ると、百舌鳥・古市古墳群が大陸からの使節や渡来人に自らの権力を見せつけるため都の外港=大王の港 近くに造営され使節はこれらの巨大古墳を見ながら都に入るというストーリーが極めて説得力あると感じてしまう。

現代は海沿いに高層建築が建ち並んでいるため実感しにくいがはるか昔、高層建築物が無いことを前提に考えて見ると、別の大阪のシンボル、聖徳太子四天王寺西門や五重の塔も海から来る人を意識して建てられたものと言えるのではないか。

大阪の外港としての役割は都が京に移っても変わることがなく、豊臣秀吉の大阪築城も国内向けと国外向けの両面があったに違いない。