新井紀子教授の「読解力を養おう」と自分の経験

最近AI関連の著作などで注目の国立情報学研究所新井紀子教授が今日の日経新聞一面のコラムで「AIに勝る読解力を養おう」という題で持論を述べておられる。その要旨は

・AIと差別化できる力は創造力という論もあるが論理性や構成力のない思い付きはアイデア倒れになりやすい。

・読解力が身に付けば生産性の高い人材になり安心して生きて行ける。

・教科書や新聞に書かれた事を正確に理解する力、これを伸ばすことを放置するとAIに仕事を奪われる層が増え格差が拡がる危険性がある。

とのことである。

また最近の週刊誌(新潮or文春?)での同教授と池上彰さんとの対談では同一の趣旨を述べた上で

・人は皆、言葉を話すのに文明が発達した地域には偏りがある。それはその地域が体系的に考える必要性に迫られる為だとして、エジプト文明ナイル川の氾濫を例にして論議されている。

私は自分のこれ迄の経験から、読解力も含む国語力が人が生きる上で何より大切と思ってきた。そのわけは何をするにしても自分の持つ言葉や文章以上のものは考え付かないし、言葉で物事を考えるからである。

また文明の事だが、現役時代仕事で海外に行き思ってきたことは

生きることにあまり不自由しない国や人は進歩が遅くなるという事で、傍にバナナの木があり裸で寝ていても凍える事がないのは幸せなことではあるが飛躍には中々繋がらない、という事である。

新井教授の記事のなかに自分の経験値との共通性を見つけることが出来、少しばかり過去を振り返る時間になった。

今日の日記は長すぎ、少々反省。