厚狭毛利家④「毛利元康とその時代」

私の出身地一円を藩政時期に知行していた厚狭毛利家だが、その家祖は毛利元就の八男毛利元康である。元康は早死にした元就五男元秋の跡を継いだ為、元秋を祖とする見方もあるが関ヶ原敗戦後、厚狭に封じられたのは元康であり家祖として妥当と思われる。

元康は兄元秋が領していた月山富田城主となるが、この出雲月山富田城は歴史好きなら誰でも知っている戦国大名尼子氏の元居城でありこの城主を務める事の重みは如何に毛利一門のなかで元康が重くみられていたかの証しになる。

その後経緯があり富田城を吉川氏に譲り備後神辺城(現在広島県福山市)を与り朝鮮の役に臨む事になる。

以降の活躍は別途紹介するとして、……

神辺城主であった縁から福山市周辺の郷土史家の機関誌「備陽史探訪の会 山城史第16集」に小林定市氏が「毛利元康とその時代」を寄稿されている。

元康のことを調べる過程でこの存在を知り会に連絡して取り寄せ読み終えた。

小林氏には全く面識ないが労作である。地道に調査されたことがよく分かる。

厚狭毛利家のことが縁あって他の地方の方々の努力でも残されていることに驚くと共に大変感謝します。

日本史はこのように各地方の地道な活動で支えられている事を改めて実感した。