私の郷里、山口県厚狭郡山陽町(現山陽小野田市)が輩出した唯一の大臣が明治時代に黒田清隆、山縣有朋内閣の外務大臣を歴任した青木周蔵である。
山縣有朋系の長州閥の一人として一般的な人気は低く知名度も同時期の外務大臣陸奥宗光などと比較すると残念ながらあまり高いとは言えない。
--郷里でも学校等で教えられた覚えが全くない。
然し当時のドイツ、プロシャ留学の先駆者として明治日本がドイツを手本として「坂の上の雲」を目指して駆け上がることに多大の貢献を果たしたことは間違いない事実でありわけても幕末に結ばれた欧米との不平等条約改正への尽力は確かな成果である。
また私的な面でも未だ閉鎖的な世情の中でドイツ人女性と結婚し子女をもうけており
日本人国際結婚のはしりと言えるのではないか。
幸いに平凡社の東洋文庫のなかに坂根義久氏校注「青木周蔵自伝」として自伝が刊行されており私が最近古本屋で入手したその本の冒頭に、
「予は長門国厚狭郡小埴生村に在住したる*三浦玄仲の長男なり」と記されている。
*(その後三浦家から青木家に養子に入る)
この厚狭郡という文字を本のなかに見つけたときは、故郷の古い先輩に確かに出会って挨拶したような感動があった。