改元と穴戸

もうあと僅かで「令和」に改まるがこのままいくと少なくとも3代の元号を見ることになる。

元号の始まりはよく知られているように大化の改新の「大化」であるが2代目は

「白雉」でありこれが山口県に関係がある。

大正15年発行の「厚狭郡史」では厚東氏(今の宇部厚東周辺が地盤、大内氏に敗れ衰退)が大化6年に白い雉を捕獲して国司を通じて朝廷に献上、これを瑞兆とみて改元し「白雉」としたと記載されている。

古事記では厚東氏の記述なく穴戸国司 草壁連 が白雉を献じてとなっている。

「厚狭郡史」は全編を通じ厚東氏に肩入れぎみでやや割り引いて見る必要があるが穴戸国の白雉であることは間違いない。

穴戸の由来は諸説あるようだが関門海峡が地峡のように穴に向かう様から取られたのが有力らしい。

この穴戸が「良き字に改める」という朝廷の方針で「長門」国に改名されたもので山陽町史には少なくとも西暦665年には長門の表記が現れるとある。

然しもし穴戸が長門に改名されずそのまま残っていたら

戦艦長門ではなく、戦艦穴戸?

長府ではなく、穴府? 

長州藩ではなく、穴州藩?      穴州藩士高杉晋作

これではなかなか明治維新にたどり着けそうにない!