毛利秀元①厚狭山野井が長府藩領の理由

以前から、郷里の山口県旧山陽町厚狭の中で本来厚狭毛利領か熊谷氏領のはずの山野井地区が藩政期を通じて長府毛利領であった理由が分からなかったが、此処に来て氷解した。

山陽町史によると毛利8カ国時代厚狭地区を含む1万石を領していた三沢氏は    関ヶ原戦後山野井を含む700石に減封、その後長府毛利藩祖毛利秀元に仕え重臣となった。

この為藩政期を通じ山野井が長府領の飛地となったとのことである。

郷里の歴史の中で毛利氏の関ヶ原敗戦の影響が極めて大きい事の一例であるがこれらの激震のエネルギーがその後約250年を経て明治維新を動かすことになる。