中断中の独り言②真ん中に「オモイ」がある会社です

毎日の習慣になっている日経新聞に連載中の安部龍太郎さんの小説「ふりさけ見れば」を読み終えてコーヒーを飲みながら遣唐使阿倍仲麻呂の国家を背負った異国での奮闘に想いをめぐらせていた。

一回読んだ折りには全く気がつかなかったが、もう一度さし絵を含んだ紙面に目をやると小説の後ろに誠に小さな宣伝コラムがあり

【はい、真ん中に「オモイ」がある会社です】

という小さなキャッチコピーが書かれており、さらに小さな文字で「住友重機械」とある。
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最初はなんの事か理解出来なかったが直ぐに「重い」と「思い・想い」を掛けて会社をアッピールしていることが分かり発想の面白さに感心してしまった。

住友重機械工業は一般には馴染みが少ないと思われるが産業用機械、メカトロニクス、物流機器、建設機器、ライフライン、などを受け持つ会社で多くの住友系企業と同じく四国別子銅山にゆかりがあり、元々銅山に必要な機械機器から発展している。

いわば「かたくておもい」会社の柔らかい文章表現に、現在の閉塞感を打ち破りそうな明るい印象を感じてしまい、今まで概略の知識は有ったものの現役時代にも縁の無かった会社だがつい応援したくなってしまった。

考え抜かれた言葉は突然人の心に突き刺さることがある。

🔘今日は朝から雨模様で「歩き」もままならないが、昨日はさわやかな陽気のなか集落のコンペで伊賀のゴルフ場へ、
申し分のない条件下、スコアは44、50、トータル94、2ヶ月のブランクもあり後半は2回も多叩きで失速してしまい反省は多いが、2位賞とドラコン賞は確保し少々申し訳ない気分。

🔘春です、近所の散歩道沿いの桜が咲き始めている。
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中断中の独り言・コサック

私の興味の中心は日本史にあり欧州史などは門外漢といってもよいが、昨今のウクライナ・ロシア関連の痛ましいニュースを見るたびに、この両国の接する地方を中心に歴史に名を遺すコサック集団のことが想い浮かぶ。

コサックの起こりについては色々あるらしいが、タタールと呼ばれたモンゴル系とロシア人などを構成するスラブ民族などの血が長い歴史の中で融合されたもので、軍事的な結び付きが強い共同体を作り周辺諸国とのあつれきも繰り返し傭兵集団としても活躍した。

ロシア革命では反革命側に立ったためソ連建国後は弾圧され共同体組織は破壊された。

ウクライナではあらゆるところにこのコサックの誇りと歴史が息づいているとされる。

このコサックに関して私の記憶には2つのものが残っている。

①コサック騎兵
ロシアと日本が戦った日露戦争では日本陸軍は主として現在の中国東北部満州でロシア陸軍と対峙したが、当時のロシア陸軍の一部を構成していたのが世界最強と言われたコサック騎兵であった。

司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」では主人公の一人で日本騎兵の生みの親・秋山好古(あきやまよしふる)はこの個人的技量の卓越したコサック騎兵に対応するため、
・馬上戦闘を極力避ける、
・機関銃など火器の充実をすすめる、
・騎兵の機動力を生かして敵陣深くを攪乱する、
等の戦術を駆使して騎兵戦を指揮、日本軍勝利の一翼を担った事が描写されている。

②ステンカ・ラージン
小学校高学年か中学校だったのか定かでないが当時確かロシア民謡という紹介だったと思われる「ステンカラージン」という歌を教わった記憶がある。

ここにコサック集団の一つ・ドンコサックが出てくる。
検索したなかで私の記憶に近い日本語歌詞を挙げると以下のような気がするが確信がある訳ではない。

ちなみにステンカ・ラージンは17世紀帝政ロシアに対して蜂起したコサック集団の指導者で、歌詞に有るようにペルシャ(現在のイラン)とも戦った。

♪︎♪︎ ボルガの流れは果てなく続き
今宵も宴は怪しく響く
麗しペルシャの姫を迎えて
微笑むステンカラージン今宵は楽し

ドンコサックの群れに起こるそしりを
受けたるステンカラージン何を思える ♪︎♪︎

🔘このような歴史のバックボーンを持つウクライナは、仮に一時的に占領されても最終的に屈服することはないと思っている。

1000回達成と一時中断のお知らせ

先にアップした「頑張れ美祢線」の記事でようやくこのブログも1000回に到達しました。
いつも見ていただいている同級生の皆さん、厚狭の皆さん、知人の皆さん、はてなブログを書かれている皆さん、本当にありがとうございます。

2019年3月に「初心者で始められる」のうたい文句につられて恐る恐る始めたものが、何とか所期の目標回数まで来ることが出来、おまけに中間時点ではこのブログに書いた内容をベースに自費出版本「厚狭吉亭日乗~ふるさと厚狭&歴史の彼方から~」にまとめることが出来ました。

読者の皆さんの励ましのお陰と大変感謝しています。

ところでこれから2~3ヶ月間集中してやりたいことが別に出来た為、やむを得ず当面このブログは中断させてもらいます。

落ち着き次第、新しい切り口も交えて再開するつもりでいますので今後ともどうぞ宜しくお願いします。

2022年2月25日
八尾ノ厚狭吉

頑張れ!美祢(みね)線

コロナ禍で旅客を運ぶ航空、鉄道各社が苦境に有る。
日経新聞の記事ではJR西日本も例外でなく、常態化していた地方の赤字路線を近畿圏の在来線や新幹線で支える構図が崩れ、バス路線への転換など見直しが必至の状況にある。

1km当たりの1日平均利用者数が2000人未満の線区はこれから個別に収入と経費を具体的に示すようにするとのことでJR西日本管内では11路線が対象で、この中のひとつに山陽本線厚狭駅から山陰本線長門市駅を結んで山口県を縦断する美祢線が挙げられている。

この美祢線は2010年の豪雨で大きな被害を受け運行を中止、ようやく復旧した経過がある。
(実はこの時の美祢線のひどい被害状況を目の当たりにして、私はこのまま廃線になるのではととても心配した)

もともと美祢地域の石灰石や石炭を厚狭駅経由で宇部小野田工業地帯に運ぶ貨物主体だったこともあり、これらがほとんど無くなり沿線の過疎化が進む現在は厳しい状況に有るのが当然想像される。

故郷を離れて勝手な事を云える立場ではないが、厚狭川沿いを走るデイーゼル客車や貨物列車が小学校の登下校時の友であった身からすると、新幹線停車駅・厚狭の利点を生かしていつまでも走っていて欲しいと願うのだが。
取り敢えず今度帰省の機会には乗ってみなければと思っている。

◎2020年11月帰省時にたまたま撮っておいた厚狭の美祢線夕景、遠くに見えるのが日ノ峰山。
ちょうど旧2号線と交差する辺りでここは小学校の行き帰りいつも通った道。
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◎時折雪が舞う寒い中、昨日は1ヶ月半ぶりにホームコースで70歳以上が集まる「泉寿会」に参加してきた。「年寄りの冷や水」とはこの会のためにある言葉かもしれない。
スコアーは45、47、92、目標未達で後半のミスに反省多し。
・空気が乾き、遠く大阪市内まで見渡せる。
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厚狭毛利家代官所日記㉘文久2年⑩石炭採掘のトラブル

ふるさと厚狭を含む山口県の西部一帯は炭鉱が多くあった地域で、藩政時代からの石炭と厚狭との関わりについては、このブログに2020年8月26日、8月30日、9月3日の3回、「ふるさと厚狭の石炭」と題して書いてきた。

石炭など鉱業の開発には公害騒ぎやトラブルが付きもので、厚狭毛利家給領地の民政を記録した代官所日記にもこの一端が書かれている。

文久2年(1862)8月14日の記録

お願い申し上げる事(7月付けの上申書)

この度山田村(船木の小村)葭ヶ浴(よしがえき)という処で石炭掘り取りのことを茶屋村中(船木の小村)へ指示された様子をお聞きしました。
然しその場所の浴筋(水気の多い谷筋)に私共の田へ水を供給する堤(つつみ・ため池)が有ります。
この度掘り取りを指示された石炭の上に有ります。
これまで追々の干ばつ時でも水が湧き出で困る事がなく幸せでありました。
石炭の掘り取りにより水が抜けてどれだけ難渋するか図りがたいものがあります。~~
何とぞ後難に及ばないよう御詮議をお願い申し上げます。

畦頭(くろがしら・村役人)宛て
百姓6人連名

8月31日の記録

申し上げる事
山田村岩本十兵衛殿の土地にて石炭掘り取りを行った件で、お尋ねを受け恐れ入ります。
当春以来薪炭が無く古い石炭穴を後さらえして少々取り帰ったところ、値段が高いと聞いて凡そ300振り(一振で60kg)程掘り出し港へ出したところちょうど売り口もあり売りさばきました。兼ねて御沙汰もありお届けせずに私の考えで掘り取りしたことについて申し開きもなく恐れ入ります。

弥吉 印

・この他に地主の岩本十兵衛名で、掘り取りは自分の不在の間に弥吉が勝手にしたこと、という言い訳内容の上申書が添付されている。

その後約一ヶ月経過した 閏8月24日の記録

石炭の件について咎めの沙汰をする(詳細は別に記載とある)
・追込(狭い部屋に入れ出入りを禁ずる) 5日間 岩本十兵衛
・張紙閉戸(罪状書を戸口に貼り付け戸口に竹を渡し出入りを禁ずる) 10日間及び罰金銀300目 弥吉

閏8月28日の記録

葭ヶ浴の堤水問題について代官所役人が出張検分、当面は問題ないように見受けられ、細かい状況を申し入れた百姓中に説明の上申し出は却下、万一後年に堤水が無くなるような事があれば別途詮議することにした。

◎この当時の石炭は塩田の燃料として重宝され、厚狭毛利家にとっても石炭採掘は上納金が入る大切な収入源である。
百姓衆の申し入れは無下に出来ず、一時停止を無視して勝手に採掘した者は処罰したものの、結局石炭採掘自体は続行せざるを得なかったものと思われる。

◎このような農業への影響と併せ、坑道を掘り進んで他領地まで越境したりするトラブルも報告されている。

◎日本の近代化に大きく貢献したものの一つが国産エネルギーである石炭であった。
このようなトラブルは有ったにせよ厚狭地域では江戸時代から既に石炭が採掘され、日本の近代化のさきがけとなった歴史はふるさとの誇りのひとつと云える。

◎春はもうすぐそこに!地域ゴルフの幹事さん宅の梅を撮らせてもらった。
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「英雄を歩く」

安部龍太郎著「英雄を歩く」日本実業出版社刊 を読み終えた。
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安部龍太郎さんは現在日経新聞阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)や吉備真備(きびのまきび)たち遣唐使の物語「ふりさけみれば」を連載中で、阿倍仲麻呂がついに帰国がかなわず異国に骨を埋めることになった経緯を斬新な構想で書き続けられている。

本の題名はいかめしいが内容は今まで書かれた小説の取材ノートというべきもので冒頭の言葉にその本質が現れている。

『小説を書く時には、舞台となった土地にできるだけ足を運ぶことにしている。主人公が生まれ、育ち、歴史に名を残す活躍をした場所に立てば、史料だけでは分からない多くの真実が見えてくる。
古戦場を歩けば戦った時の苦労が身体感覚として分かるし、生まれ育った故郷に数日とどまれば、風や土の匂い、方言の特質、食生活の状況など、その人物の根底を支えるものが少しずつ理解できるようになる。~~~~~』

歴史研究者ではないので、史料の積み重ねではなく現場に立って郷土史家など現地の人の話を聞き、歴史上の人物の疑問点を独自に解明しようとする姿勢がこの本に随所に出てくるがその中の一例を。

戦国時代甲斐国(かいのくに・山梨県)の武将・武田信玄は23歳で家督を継いで以降26年間、信濃国(しなののくに・長野県)を経て北進を志向する。
信濃を順次攻略していく過程で北信濃の雄・村上義清を追い、村上氏などの救援要請を受けた越後の上杉謙信川中島で激突する。

(安部さんはこの村上氏が瀬戸内の村上水軍と同族であることにも着目している)

信玄は結局この北の壁を突き破る事が出来ず、26年の歳月の後南進策に転じて駿河国(するがのくに・静岡県)に出るが、
この永年北にこだわった理由を安部さんは以下のように書かれている。

信濃から越後国(えちごのくに・新潟県)に出れば日本海海運のルートに直接つながる事が出来て日本列島を横断する道が確保出来る。
日本海に出れば海外貿易(中国、朝鮮、南蛮)とも直接繋がり、これによって鉄砲を生産したり実戦で用いるための物資(軟鋼、真鍮、硝石、鉛等)を輸入する軍事目的も達成出来た。

◎従来の固定観念にとらわれず、歴史小説家らしい解釈や発想が随所に見られる取材ノートになっている。

◎赤い実と思ったがどうも蕾らしい
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タイ国の話題二題

現役時代仕事で関わりがあった国は今でも懐かしくて想い出すことも多く、国際ニュースでもついつい聞き耳を立ててしまう。
特にタイ国は6年近く駐在したこともあり最も関心のある国だが、最近は政治絡みであまり良くない話題も多いなか、ここ数日で2件私の記憶を呼び覚ましてくれるようなニュースに続けて出逢った。

①タイの首都はバンコク
タイ政府が首都バンコク(Bangkok)の英語名称を「クルンテープ・マハナコーン(Krung Thep Maha Nakhon)」に変更するというニュースが流れた。

どうやら正確にいうと「Kurun Thep Maha Nakhon ;Bangkok」から「Kurun Thep Maha Nakhon (Bangkok)」
バンコクが括弧付きになったためバンコク表記が使えなくなるという認識が広まり、あわてて政府が打ち消したとのことであった。

私達はいつもバンコクと呼び慣れているが、駐在していた当時から現地の人々はほとんどの場合バンコクと呼ばずクルンテープ(天使の都)と呼んでいた。

タイの首都の正式名称は一度聞いたことがあるが無茶苦茶長い名前(世界一長い名前と聞いたことがある)でとても覚えきれず略称で呼ぶのが一般的で、名称の最初に当たるのがクルンテープ・マハナコーンで「天使の都である都市」という意味である。
またバンコクは地名を表している。

◎表記変更の提案は王室系から出されたものらしいが、その意図が現在のタイ王室を取り巻く混乱から発していなければいいのだが。何れにしてもバンコク表記は問題なく使えるらしいが、クルンテープも懐かしく捨てがたい。

マレー半島横断橋
日本など東アジアと欧州、中近東、インド等との物流はマレー半島の先端を大廻りしてマラッカ海峡を抜けるルートが確立され多くの船舶が行き交う。

この為以前からマレー半島で最も狭いタイ国の幅90kmの地域に運河を通しタイ湾からアンダマン海に抜ける案が検討されてきた。

今回のニュースは莫大な費用のかかる運河に変えてこの間にランドブリッジ(陸上橋)を掛けて鉄道、道路、油送管を通し、船の荷物を積み替えて航路日程を短縮しようとするもので2023年に調査を終える計画で、タイは日本の参加を米中バランスの中で希望しているようである。

◎この橋の構想地点は懐かしいアンダマン海のリゾート・プーケット島に近く、ついここの錫鉱山跡に有る素晴らしく雄大なブルーキャニオンゴルフ場を想い出してしまった。

◎私のやりたいことリストにはタイ国再訪が載っているのだが、勤務した工場や地域の変貌を是非見てみたい。

◎冬の寒空なのにまるで春のように周りまで明るい。